何かと光るものを感じる仲間のこと

職場に、何かとその在り方や出てくるものに光るものを感じる仲間の男の子がいます。私の書く、どうということのない未熟な執筆文でありながらされど誇りあるそれについても「僕も勉強になります」と純粋に興味を持ってくれていることが嬉しく、後日合意の上でいっそのことまとめて一連の執筆シリーズをプレゼントすることにしました。

お話しをしたり、ちょっと言葉を交わすときの何気ない瞬間の言葉が印象的な子で、「弧を描いてた」とか、今年の目標を聞けば「風林火山」とか、詩的なものが出てくるたびに光るものを感じては感心しています。私なんかよりよっぽど何か秘めた才能があるような、磨けば光る可能性のたまごを持ち合わせているように思えてなりません。

その子の人生に、私がああしろこうしろと言うこともできなければ、押し付けることもできません。だけどその子が何かと私の持っているものに興味を示したり関心を持ってくれているのが分かるたび、ありがたみも然ることながらこの子とは通じ合うものがあるなといつも感じています。

そんな弟ちゃんのようなピュアな彼が今後どう可能性を見出し、どんな輝きを放てるか。今日の帰り道も、私は何も儲け主義だけで執筆してるわけじゃないということ、画面の向こうにいる、私の拙い文章を読んでくれてる読者さんたちに新しい視点なり枠組みなりを持てるきっかけ作りのお手伝いをしたり、そうして誰かが笑ってくれたらいいと思う、などと私と執筆の関係やその意味についていろいろとお話しをしながら歩きました。

ドキュメンタリーのような文章は「そういうの好きです」とのことでしたが、いかに読者あっての書き手であり文面であれ、読む側にとってもまた読むということは生み出す側とは違う意味でエネルギーを使うことですから、あまり大量に私の執筆文を持ってきても負担になるまいかと心配していろいろ尋ねたところ、それほど心配はない様子でした。なので日々少しずつ読んでもらって、今日お話ししたときのように「何か感じてもらえたらいいと思うよ」と、思っています。何というか、私が羨ましくなるほどの若さでありながら、彼は私との関わりを持つたびにずるさや打算的なことは一切なしで何かを吸収しようとしたり、自分なりに租借したりしようとしている在り方のようなものが伺える今時珍しい男の子でとかく可能性を感じます。何より、その謙虚さが彼の魅力だと思います。芸事でも何でも、謙虚さあっていろいろ消化吸収できたり、研磨ができたりするのですから。

それほど難しい文面ではありませんが、近々お渡しする執筆集を通しても彼なりの何かを得たり感じたりしてくれることをいい意味で確信しています。